【小学校にはじまり何度も受験をしたこれまで 6 (もう一度3年次編入試験にチャレンジ。脇目もふらずにまさに背水の陣)】
こんにちは。
横山範葛(よこやまのりかず)です。
このブログはチャレンジしたい思いがあって、今、ここからもう一歩踏み出そうと思うあなたに向けて、1から無限の可能性を開いていくためのきっかけのタネを届けるものになっています。
さて、12月に入り、学校と私ということで、受験をキーワードに続けて書いてきました。
今回が6回目です。
これまでの内容は以下となっています。
興味をお持ちでしたら読んでいただけると嬉しいです。
【小学校にはじまり何度も受験をしたこれまで(中学生活と高校受験編)】
【小学校にはじまり何度も受験をしたこれまで(大検を合格するまでのもがいた数年間)】
【小学校にはじまり何度も受験をしたこれまで(大検合格、未来への切符をほんの少し掴んだ気がした20歳手前の頃)】
【小学校にはじまり何度も受験をしたこれまで(6年ぶりに友達と一緒に机をならべて勉強する日々。短大入学から3年次編入試験へ)】
中学を卒業してから7年後。
短大を卒業して、大学に3年次編入をしました。
編入学試験対策で通っていた予備校のような場所で一緒だった友達とはお別れするかたちになり、また、一人で勉強をする時間が始まりました。
他にも知っている人もいたり、編入後でもゼミに参加できたりと学んでいくベースはありました。
ただ、喪失感やさみしさ、やりきれなかった思いをずっと引きずったまま4月を終えて、少しずつ大学へ行かなくなりました。
「おもしろくない」
大学というのは学びの場だと思う方ももちろんいらっしゃるとは思いますが、自分の場合は「楽しみたい」との思いが本当に当時は強かったです。
渇望をしている感覚。
他愛のない話を楽しむことや日常を友達と過ごす時間に憧れていたんです。
大学3年次編入対策で何人かは友達がいたもののそこから離れて、まさにマンモス大学と言われたところ。
1年生・2年生と一人ひとりが積み上げてきたその環境に入る勇気はありませんでした。
そうした時、たまたま予備校時代にお世話になった方と話をする機会がありました。
「最近、大学はどう?」
と聞かれて、
「いや、全然楽しくなくて。休みがちで。単位も思っている以上に取らないといけないし・・・」
「みんな(予備校時代の友達)楽しそうでうらやましいです。やっぱり行きたかったな・・・」
そんなやり取りの中で、今、京都で同じ編入の予備校業務に関わるという話を聞いて、その方が校舎にいるならというところから
「もっかいやってみたいな。第一志望のあそこにやっぱり行きたいし」
と思うようになり、
「秋、3年次編入の試験にもう一度チャレンジする」
と決めて、勉強し始めました。
5月を過ぎたあたりから勉強をし始めたと思うのですが、もう大学には行かなくなっていました。
大学で知っている人にも「実はもう一度3年次編入で大学を受けようと思っていて」と話をして、ある意味退路を断ったかたちに。
単位を人よりも取らない状況にも関わらず、大学には行かない。
ということは4年生で確実に卒業はできない。
また、ちょっとは仲良くなった人がいても半年も離れていれば、もう話をすることもないかもしれない。
リスクを取るということよりも、
「やる」
「ただ、やる」
「やるしかない」
という状況で不安を見て見ぬふりをして突っ走りました。
今の私が横でもしサポートできるとするならば、どんな声掛けをできたのかな。
もちろんブレーキをかけるつもりはないものの、もっと俯瞰して色々な部分から心の支えになれるように心がけると思います。
ただ、当時の私は聞く耳をきっと持たなかったかもしれませんが。
往復で3時間強の道のり。
週1回で京都へ。
大阪にも教室があって補講も受けていたものの、知っている人がいる安心感もあって通いました。
「これ、通るしかないよな」
と頭では思っていました。
でも、今、考えるともしも不合格になった時、対処の方法が正直なかったので直面をすることは避けていたのかもしれません。
「通る」
「合格する」
「どうにか英語をしのげば」
無理ポジだったかな、たぶん。
もう英語だけだったんです。
どうなるかの問題は。
専門の試験は元々興味のあった分野ということもあり、対応はできていました。
ただ、英語嫌いはずっとあって、編入試験の対策をしやすい大学を志望していたものの、本当にギリギリまで手ごたえはありませんでした。
当時、一緒に勉強する友達がいたのもありがたかったです。
そして、京都で学ぶことの橋渡しとなった方も。
この二人の支えが本当に心をあたたかくしてくれていました。
心細く、自信も失いがちだった自分の心を本当に下支えしてくれていたと思います。
京都に行けば話ができる人がいる。
そして、今、思っていることを聞いてもらえる。
勉強をする場で、目標も3年次編入学とあったものの、「生きて話ができている」という濃密な4ヶ月でした。
夏になり、そして、秋が近づく中で、試験日もまもなくとなりました。
毎日毎日本当に机に向かっていました。
同じテキストを何度もやり直して、そして、課題をやって、今、やれることをしました。
ただ、自信はないまま当日を迎えました。
試験を終えて、思ったこと。
「やるだけのことはやった」
「そして、今までで一番できた英語のテストだったな」
というのが感想でした。
点数が6割から7割の間なら可能性があるという中で、本当にギリギリだな。
期待を入れてしまわないと「合格」と頭の中で浮かばない状態でした。
そして、合格発表。
当日、現地へは行けませんでした。
もう怖くて。
もし、落ちたら帰る場所(大学)はもうない。
落ちてもやめるつもりでしたから。
京都への橋渡しをしてくれた方がほかの学生の結果も見に行くということで、自分の分も見てくれるという話に。
合格発表の時間からすぐに電話(当時は黒電話)が鳴り、
「もしもし、横山です」
「〇〇ですが、受かってたよ」
「本当ですか。本当に本当に!」
うわーってなり、その近くに母と祖母もいたので、
「受かったあ!」
「これで行ける!」
と大喜び。
本当にこの時の英語の試験は人生で一番のできでした。
今、ある力を出すということがまさに体感できたものでした。
それで、結果を出せた。
退路を断って、覚悟をした。
ここで不合格なら、それこそ立ち直れなかったかもしれないほどのバクチをしていたと今の私なら思います。
ただ、どうしても叶えたかった。
人生をかけてでも、本気で生きて行くためにもここはやり通したかったという思いが勝ったのかなと思います。
「今度こそ」
「本当に今度こそ」
来春、ようやく大学生になれる。
憧れのあの大学へ。
しかし、そんな期待先行の思いはまた春になると・・・。
続きはまた次回。
ここまで読んでいただきありがとうございました。