【小学校にはじまり何度も受験をしたこれまで 2 (中学生活と高校受験編)】
おはようございます。
横山範葛(よこやまのりかず)です。
このブログは0から1へと「Re start」しようと思っているあなたへ。
「もう一度ここから始める」と決めて動き始めようとしているあなたにちょっとした気づきや閃き、きっかけのタネを届けるものとなっています。
今日の目覚めはどうでしたか?
昨日のブログ【小学校にはじまり何度も受験をしたこれまで(小・中編)】
では私の受験にまつわる小学校・中学校当時のことを書きました。
続いて高校受験編。
その前に中学校生活の振り返り。
私立中学の試験に失敗をして、公立中学へ入学。
制服が苦手だったのと「勉強をしなきゃいけない」との思いから何か学校を行くのがあまり好きではありませんでした。
あと、家から遠かったのもありました。
小学校区域よりもほぼ倍の大きさで、さらに隣の小学校区に中学があったこともあり、歩いて20分以上かかる距離でした。
同級生の何人からはうまく自転車を使ったりしていたようですが、そういうことも私はできず、重いカバンを肩にかけて通っていました。
「行きたくない」
「私立の中学校に行っていたらどうなっていたんだろう」
「何でここに通っているんだろう・・・」
そんな気持ちの中、何を張り合いにすることもなく、地味に進んで行きました。
あと、ちょっとしたことでも傷つきました。
小学校時代からの同級生に「何か暗くなったよね」と言われたこともありました。
もしかしたら些細なことだったかもしれないこの話でしたが、ずっと気になっていました。
だから笑わなきゃと無理をして笑おう、笑おうとよく思っていました。
あと、存在を知らしめたいからか授業中に笑いだすことも。
初めは面白いことがあって笑っていたのでしょうが、それに味をしめて、注目を浴びるために笑うようになりました。
それがその時、自己主張で「わかってほしい」とのあらわれだったんだと今になっては思います。
それと、生徒会にも立候補しましたね。
1年生だから書記で。
実は小学校の時も児童会という学生の組織で会長をやっていたことがありました。
何かがしたいというよりも、ただただ、「横山、ここにあり」みたいな部分をアピールするためにやっていたのだと思います。
結果、生徒会に入ったものの、1年後半から学校を休むようになり、よりそれが朝礼とか定例会とかに行けなくなり悪循環となっていきます。
だからこそ、今、思えるのは本当にやりたいことだったかどうかを確認する必要があったなということです。
やりたいと腑に落ちていたなら、きっと続けることもできたかもしれません。
しかし、肩書がほしかったから、ポジションを掴みたかったからでやってしまうと一度崩れてしまうと私一人でどうにかしようともう思えませんでした。
結果的に中1の終わりぐらいから学校を休みがちに。
そして、中2・中3とほぼ休むことが続きました。
たまに行って、教室に入った時のヒソヒソ話をされている時のあの感覚。
今でも気持ち悪い感覚が残っています。
そこにいるだけでしんどい。
ずっと、浴びたくない注目を浴び続ける感覚。
まわりまわって注目を浴びれたのかもしれませんが、それはまったく望んだ姿ではありませんでした。
そういう時間も長くは続かず、結果、また長期でお休み。
保健室のお誘いもあったけれど、結局、ずっと家でした。
当時、近鉄バファローズというプロ野球チームがあって地元から藤井寺市まで大体1時間あれば行けていました。
時間はあるので、平日の夜とか土日の昼などに観に行っていました。
今では当たり前のように混雑するプロ野球のスタジアムも当時の近鉄バファローズは弱い時はガラガラの人だったりします。
そこに楽しさというよりも何も考えずに野球を楽しめる場所という意味で通っていました。
高校の時代にはより大切な場所へ。
その話はまた次の時に。
勉強をほぼやらずに中3まで来ました。
個別の塾に通いだすとこちらも休みがちになり、塾から「面倒を見きれません」と言われて退塾。
どんどん社会から孤立するように家で過ごしていました。
内申書はオール1。
公立高校は受けられない。
私立は。
一度、大阪を離れて東京かどこかへ高校留学しようと思ったこともありました。
専門の学校案内も買って。
ただ、そんな勇気も持てず、ある意味私の登校拒否は家のタブーになっていたので、地元でどうにか進学してほしいとの思いは受け取っていました。
でも、近所の高校は中学時代のことが蒸し返されそうで、それは耐えられないから大体片道1時間半ほどかかる学校の受験をしました。
「どうにか変えたい」
「新しい学校で生活をやりなおしたい」
「青春ってなんやねん」
「ただ、友達がほしい」
やり直したい。
やり直したい。
その思いから受験したものの不合格。
あの受験の日、覚えているのが「地元の中学生が私を見て、どこの制服だろう?」と話をしていたこと。
敏感になっていたからかそういう話はすぐに拾ってしまうんですね。
それで緊張をしたのを覚えています。
どこにも行けない。
行く学校がない。
専修学校とか選択肢はありましたが、結果、通信制の高校に通うことになりました。
その高校を選んだのは別途、知り合いに紹介をされた私塾に通うというのもあったので。
その私塾でもしかしたら、やりなおせて、友達もできて、野球も観に行けるのかもしれないと期待をして。
結果、半年ほどでやめます。
その話は次回以降に。
引き続き、大検、大学、大学院と書きます。
ここまで読んでいただきありがとうございました。