【小学校にはじまり何度も受験をしたこれまで 4 (大検合格、未来への切符をほんの少し掴んだ気がした20歳手前の頃)】
こんにちは。
横山範葛(よこやまのりかず)です。
このブログは0から1へと「Re start」しようと思っているあなたへ。
「もう一度ここから始める」と決めて動き始めようとしているあなたにちょっとした気づきや閃き、きっかけのタネを届けるものとなっています。
学校と私ということで、受験をキーワードに続けて書いてきました。
今回が4回目です。
過去の記事はこちらから。
【小学校にはじまり何度も受験をしたこれまで(中学生活と高校受験編)】
【小学校にはじまり何度も受験をしたこれまで(大検を合格するまでのもがいた数年間)】
一般的には大学1年生になるタイミング。
大検の勉強はしているものの、中々集中できないまま取得半ば。
大好きだった近鉄バファローズのプロ野球観戦も本拠地が藤井寺球場から大阪ドーム(現在の京セラドーム大阪)へ。
ほぼ毎日のように通っていたコミュニティがまた無くなってしまい孤独を感じた春でした(大阪ドームは遠くてチケット代金も高額など行きづらい環境だったため)。
「進学をする」となれば大検しか方法がないという状況は続いていました。
専門学校に行くにしても大学に行くにしても大検をまず取ってからでないと始まらない。
ただ、当時、誰かに相談できる環境はありませんでした。
大検の勉強も基本一人(過去のテキストやノートを何度も見直すかたちだったので)。
野球を観に行く以外は一人で家ということがほとんどだったので、誰かと話すこともあまりありませんでした。
寂しさというよりも孤独。
一人が当たり前。
話がしたかった。
なんてことない会話でもいいから。
今の私がちょっといい距離感でいれば話をできたかもしれませんね。
「勉強どう?」
「最近、気持ちはどう?」
「今、気になることは?」
など。
その時の、ありありとした思いを話せるだけできっと救いを感じられたのかなと今の私は思います。
話を率直にできるだけできっと心が穏やかになり、「今」を人とのやり取りを通して実感できたと思うので。
さらに、すべてのことが今の私を作り出しているとも実感します。
さて、本題。
夏に向けて一人での勉強が続きます。
この時、音楽を聴きながら勉強をしていました。
ずっと繰り返して聴いていたのが中島みゆきさんのあるシングルが集められたベストアルバム。
この曲を何度も聴いて、それが身体の中に今でも染みついています。
ふと曲とその時の状況が浮かび上がるような。
どこまでやっていいかわからないぐらいに勉強した時間。
模擬テストとかも受けるわけではないので、やり続けて確信に持っていくしかないと思っていました。
やっぱり誰かに話を聞いてもらいたいと思って。
結果、この年と次の年でどうにか大検取得まで来ました。
大検を取れるメドが立った時、本当に嬉しかったです。
今なら誰かに簡単に相談できそうなことも、私を知っている人がほとんどいない中での4・5年間。
それも青春真っ盛りの大切だと思えた時間。
そんなもがいた中でも大検を取得して、「次」と思えた時、生きた心地がしました。
「未来への切符」を受け取れたようで。
まだ、やれる。
きっとやり直せるはず。
「おめでとう。
「そして、ここからどうする?」
当時の私に聞いてみたいし、聞いてもらいたかった。
「これからの人生、何がしたい?」と。
実は小さな頃からメディアで仕事をしたいとの思いがずっとありました。
ただ、当時、勝手な思い込みで現役の大学生(浪人とかせずに大学へ行っているという意味)しか行けないものだと思っていました。
もちろん学力も必要で。
大学に入るにしても大学1年生で2年遅い状況。
と言ってもそれほど他にやりたいことがあったわけではなく、専門学校ではなく進学することを決めました。
ただ、学力は大検を取得できるという部分までしか高まっていなかったので、何か時間で解決できる方法はないかとあれこれ探したのが大学3年次での編入という方法でした。
短大卒業か大学で所定の単位を持って、別の大学の3年次に編入するというかたち。
もう一度基礎から英語をはじめ勉強するという意味もあって、その選択を取りました。
大検取得がわかったのが10月。
その翌年すぐに成人式。
小・中の同級生は自分のことを知っている人なら学校へ行っていなかったことを知っています。
また、今、大検は取ったものの、「今、何をやっている」とは言えないそんな状況でした。
「行きたくないな」
「昔の友達に会ってどうするの」
「いや、会いたくないわ・・・」
と思っていたけれど、昔の友達から連絡が来て、
「行かないの?」
と聞かれて、結果、行くことに。
めちゃくちゃ重たい気持ちで。
小・中の同級生は輝いているように思えました。
大人というか生きているというか。
あと、「よこやん生きていたんや」という昔の友人からの冗談も。
聞き流せなかった。
「何、言うてんの」
と冗談のように流したけれど、心の中は揺れまくり。
「もう帰りたい」
とほんまに思いました。
ただ、勇気もなくて、流されるままホールにいて、そして、ちょっとお茶を集団でして帰ったことを覚えています。
あれから20年ほど経過しても覚えている出来事。
それぐらい人の言葉、ちょっとした言い回しって人の心を刺します。
「気を付けよう」と思う出来事に今でもなっています。
そんな思いの中で友達もほとんどいなかったけれど、春からの新生活に期待をかけていました。
通信制の短大へ入学。
同時に大学の3年次編入を目指す。
20歳までほとんど一人で勉強をしていた私が少しずつ誰かと一緒に過ごし始める生き方となっていきます。
その時々で誰かと話せていればきっと大事にならず冷静になれていたのかもと思わなくはないです。
それは正直なところ。
この続きはまたあらためて。
ここまで読んでいただきありがとうございました。