ど真ん中を歩いてみて感じたことは
おはようございます。
横山です。
目覚めの朝。
「Re start」
「もう一度ここから始める」と決めたあなたにちょっとした気づきや閃き、きっかけのタネを届けるブログを読んでいただきありがとうございます。
タイトルから。
昨日、オフで自分のプロフィールなど向き合う時間が続きました。
向き合えば向き合うほど腑に落ちることもあればあやふやなまま残っている部分にも気づいたりと自分を深めるという意味では大切な時間となりました。
個人的に体感で自分のもの(会得)にしていくのを得意としていていることもあり、ちょっと詰まって来ると動きを取り入れます。
昨日の場合はカフェへの移動中にこちらの赤じゅうたんの大階段のある建物の場所を通ったのでふらっと立ち寄りました。
ここはご存知の方も多いはず。
たまに平日とか人気の少ない時間帯に一人赤じゅうたんをゆっくと歩いてみることがあります。
その時は大概このど真ん中を登っていきます。
ありありと自分自身のことを考えながら、そして、これからのことをイメージして、そして広がっていく様(様子)を感覚で膨らませてゆっくりと歩く時。
絨毯を踏みしめた時の感覚もしっかりと味わい、五感を広げて行きます。
普段、日常の中で「左側通行」などでルールが基本的にあるとそれに従い、当たり前のように歩いてしまうことが多いと思います。
街中は特にですが、その一人ひとりの動きで成り立っているわけですから。
ただ、心の中まで制限を掛けたり、何かに縛り付けて動きたいかとなるときっとそこには違和感を覚える方もいらっしゃると想像します。
「本当はこう歩きたい」
とか
「ど真ん中を歩いて見える景色は」
とか
「好きに自由に生きたらどうなるんだろう」
など。
誰に縛られいるのか?
この赤じゅうたんの大階段一つとっても真ん中を歩くことに誰かの許可はいるのか?
きっと、制限をかけているのは隣にいる人でも社会でも組織でもなく(ルールがあってその中でやらなきゃいけない時は別ですが、このタイミングでは自由に歩いてもいいわけですから)自分自身だったと気づく機会があるとそこから少し見える景色が違ってくるのかなと思います。
もしかしたらど真ん中を歩くにも自分に許可を与える必要が人によってはあるのかもしれません。
ただ、歩いてみたら。
体験してみたら。
街の中のある一場面ですが、ちょっと心の奥底に変化を味わえる瞬間があるかもしれません。
今朝のブログはこの内容で書きました。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
それでは今日も素敵な一日となりますように。