整えていくことで気づき始めること
おはようございます。
横山です。
目覚めの朝。
「もう一度ここから始める」と決めたあなたにちょっとした気づきや閃き、きっかけのタネを届けるブログを読んでいただきありがとうございます。
タイトルから。
冬の寒さもあとわずかと思える時期に入ってきました。
きっと、ここを越えると次の季節を感じる機会がさらに増えると街を歩いていても思います。
今の時期だけ見ても、日差しは明らかに強まって来ています。
さて、整えるというお話から。
このブログを読んでいる方、お身体の調子はいかがですか?
また、お心もどうでしょうか?
身体も心も無理をしだすとキリがなく、後々考えると
「無茶なことをしていたな」
ということも平気でやってしまったりします。
良くも悪くもできてしまう。
この、「できてしまう」がやっかいな話。
ほぼ確実と言っていいぐらいに負担が後から(すぐにあらわれることも多々ありますが)出てきます。
それを意識的にやっていて、
「今はかき入れ時だから」
とか
「ここが勝負時」
と割り切っているなら100歩譲って
「その人次第ですからね。あとは自分の判断で…」
とも言えますが、これを日常の習慣というか当たり前のようにやってしまうと個人的にはどんどん本来の自分の姿とはかけ離れて行くのではないかと思っています。
この1年、身体を日常的に動かすことが多いこともあり、ケアには意識を心掛けてきました。
ただ、それでも1日の行動で振り返ると無理をしてしまう瞬間があります。
例えば
「歩いて10分ほどのところを時間が押し迫っているからと言って5分で走り抜ける」
とか
「予定を詰めすぎて食事のタイミングを失う」
など
「仕事をしているとそんなの当たり前だよ」
と言われそうなことを自分でも時折やっています。
そして、それを放置していると必ずと言っていいほど心身にどこかのタイミングで影響が来ます。
動きの鈍さもあれば思考が働かないなど様々。
端的に言うと自分自身の状態がフレッシュかどうか。
それは心身ともに整えることを意識して、またその環境作りもしているからこそ、ちょっと動きが普段と違ったり、逸脱した瞬間に
「あっ、これちょっとどうなの…」
とわかるわけです。
それは心身と向き合う中で、微細な変化を受け取れる術を少しずつ身に着けてこられた部分と言えるのかもしれません。
心身ともに疲れや痛みも感覚として遮断してしまうと結構感じないで済むこともできると思います。
それは痛みがないという話ではなくて、感覚を鈍らせる。
本当は「SOS」を発する事柄でも、ないものにする。
そして、その蓄積が知らず知らずに進み最後は…。
倒れてから気づく。
強制終了が入ってから気づく。
「それでいいの?」
と個人的には思います。
最近、自分でも
「過信しているな」
と思うことがあり、身体に現れました。
意識をするようにしていてもふと感覚が飛んでしまう瞬間があり、そういう時ほどわかりやすくつまづく。
本当にやりたいことがあるのなら、整えからはじめていく。
今朝のブログでした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
それでは今日も一日素敵な時間となりますように。