あまり人のペースに引っ張られないように
おはようございます。
横山です。
目覚めの朝。
「もう一度ここから始める」と決めたあなたにちょっとした気づきや閃き、きっかけのタネを届けるブログを読んでいただきありがとうございます。
タイトルから。
昨日からの続き。
整えていくことで気づき始めること - Re start 「もう一度ここから始める」と決めたあなたとともに歩み続けるブログ
この整える話でコメントをいただいたりしていて、大切なことを思い出しました。
自分自身を整えて行く中で、大切なことの一つは自分のペースかなと。
「自分らしく生きる」にも直結する話ではありますが、人生の選択と思えるようなことからちょっとした日常のことまで本来は自分で決めることができるはずです。
ただ、周りとの関係性・その時に置かれた状況や環境など色々と理由が出てきて、自分の判断だけでは決めきれないことや周りに沿うことで「次」を決めることも少なからずあるでしょう。
「しょうがないよ」
と思う方にとってはその通りですねという話かもしれません。
ただ、その他人次第が当たり前にある状況を放置していると、知らない間に自分が
「どうしたい」
「こうありたい」
と言うことすら億劫になってしまうかもしれません。
人のペースに合わせることを日々の生き方・習慣にしていたら、例えばお昼ごはんを食べるシチュエーションで、
「今はうどんかな」
と思った時も、周りが
「お好み焼きを食べようか」
「いいね」
「いいね」
と2人・3人が同調した時、
「いや、うどんを食べたいんだけれど…」
と言えるのか。
極端な話、何を食べようがいいのですが、ここで自分の本心を無視することを当たり前のようにしてしまい、人のペースで生きてしまうことに心は望んでいるのかということが言いたいわけで。
このお昼ご飯の話一つ取っても、
・自分の一言で輪を乱すのもどうかな
・せっかく流れができてまたぶった切るのはどうかな
・「じゃあ、自分たちは〇〇を食べに行くよ」と言われて独りぼっちになるのはいややな
など出すとキリがない気がします。
「嫌われたくない」
「この中にいていたい」
「仲間外れにされたくない」
自分自身のざわつきが本当の思いを口にできず心を閉ざしてしまう瞬間。
「本当に大切にした方がいいのは何なのか?」
それは人によっての生き方・働き方ともリンクしてくるのかもしれません。
結局、言動・行動で同じような人とコミュニティを形成しているとも言えます。
何を選ぶのかどのように動くのか、そして振舞うのか。
それが自分のペースでの自分次第の動き方なのか他人次第の動き方なのか。
日々、色々なところで気づく機会があり、今日のブログとなりました。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
それでは今日も一日素敵な時間となりますように。