年齢関係なくふと思い出す昔の感情
おはようございます。
横山です。
目覚めの朝。
「今、気付いている新しい価値・可能性をこれから広げていきたいと思う方にちょっとした気づきやきっかけのタネを届けるブログ」を読んでいただきありがとうございます。
タイトルから。
今朝、ふと出てきた感情とともに。
もう11年前になりますが八方ふさがりだと自分では感じる場面がありました。
通っていた大学院は体調不良で休学、また、その当時解決できないと思い込んでいた事柄もあり、にっちもさっちもいかないと思える時間が続きました。
朝も昼も夜も静か。
ただただ静か。
それは望んで描いたものではなく、
「何も始まらない」
「何も動かない」
と思えるものでした。
そこまでの自分は中学で学校に行かなくなり、その後フリーターをしつつ、何も見出せないまま二十歳を迎える直前で一念発起して、大検、短大、大学3年次編入と前に進み、大学では様々な出会いもあって、一気にこれまでを取り戻したと思えるところまで気持ちとしては来ていました。
大学ではいろんな場を体験でき、さらに学びを深めたいと思って東京の大学院へ。
今思えば、「イケイケどんどん」。
本当はその時点その時点で解決することが多々あったものの、先送りしたり見ないフリをして、
「自分の道はこれだ」
と思い込んで、一気に傷つきながらもその傷を癒さずに突き進んでいきました。
ただ、放置した事柄は後になって火を吹き始め、最後は身体に出て、結局は東京から大阪に帰ってしまい、引きこもりの状態に。
「もう動けない」
それが正直な思い。
何から手をつければいいのかまったくわからなくなっていました。
当時も友達もいたし、相談できる人もいました。
でも。その人が信用できないとか言っても意味がないとかそういう思いよりも、
「今頃こんな話できるか」
とカッコつける自分がいて、逃げ出すまで何も言えずに結局音信不通のような状況に。
当時の感覚だとまだ働いてもいないし、
「もう終わりだな」
と思う毎日。
同時に一人孤独だった10代後半を自分の力で(力技もあったかもしれないけれど)乗り越えて、そして、またステージに立てたのに、また奈落に落ちるようなことをやってしまって
「2度も這い上がるのはもう無理」
という感情に。
まさに11年前のこの時期。
まだ、感じきれていないからか出てくる感情。
そこは蓋をせずにしっかりと今なら向き合っていける。
と同時に、あの時の自分の道が今、目の前にいたら何が出来るのかなとも思う。
今、2019年になって、好きに動いている自分の姿はきっと想像できなかったとは思うし、さらにはそこにスムーズに行ったわけではなく、その後商売でほぼすべてを無くすまで追い込まれるともたぶんわかるはずがない。
しかし、ひとつ確実に言えるのはいろんな道があって、出会いやその時その時を積み重ねた先には必ず、その時よりも望む姿になり得るということ。
あとはそれを信じ切られるのか。
そして、孤独もあるかもしれないけれど、手を差し伸べてくれる人の存在をしっかりと見つけられるかどうかも大切。
見つけてもらう側もしっかりと旗を立てなきゃね。
ふと、朝、出て来た感情から思ったままを書きました。
続きはまた次回ブログで。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
それでは今日も素敵な時間となりますように。