物事の「閉じ方」も自分次第に
おはようございます。
横山です。
目覚めの朝。
「もう一度ここから始める」と決めたあなたにちょっとした気づきや閃き、きっかけのタネを届けるブログを読んでいただきありがとうございます。
タイトルから。
最近、自分自身も含めてですが
「もう一度ここからはじめる」
とか
「再チャレンジ」
とか
人生を『Re start』、生きなおす方が周りに増えてきています。
それは平成が終わるという節目とその人自身がこれまでを振り返る中での決断ということもあれば、これまで働いていた環境の変化による次ということなど人それぞれだとは思います。
それを
「たまたまそういう話になった」
と捉えるのか
「環境の変化はあったとしてもすすべて自分自身で決めたよな」
となるかではやっぱり腹の座りと言いますか心持ちがきっと変わってくると思います。
他人(他者)がいて、基本的に仕事はほぼ成り立つのは確かなことだと思います。
それは例えば飲食店をしていて、どれだけ優れた商品やサービスを提供できるものだとしてもそれを喜んでくれる相手(お客様)がいてこそ成り立つものです。
相手の反応によって自分の中で気づきがあり、また次の話へと進んでいきます。
ただ、すべての人に喜んでもらうためという話ではないです。
それはまた別の時に触れますが、自分自身が「これだ」と思うものを受け取ってくださる方(があくまでもお客様)。
そこは提供する側も受け手もごぶごぶの関係が本来はいいのではないでしょうか。
さて、本題。
物事、すべて自分次第という話をしたかったわけです。
【物事の「閉じ方」も自分次第に】
自分の話でもありますが、過去、仕事でも商売でもその他学業も含めてかもしれませんが、結構終わり方がへたくそだったというシチュエーションが多々ありました。
多くの場合、心身共にパンク。
身体も心も強制終了して
「終わるか消えるか」
そんなレベルに。
今、振り返るとその時々の事象に対して、両手の指では足りないほど対処方法はあったものの、一人追い込まれて、誰にも相談できず、さらには弱みを見せられないという自分の姿など様々な要因を勝手に重ねて自滅したことが3回はあるのかな。
ここで大事なポイントは「勝手に」です。
誰が悪いわけでもありません。
周りでも組織でも環境でも目の前の上司でも親でも兄弟でもまったく関係がない。
すべて自分でその状況を作ってしまいました。
それは反省。
でも、当時はまったくわからなかったんです。
頑張れば「この状況は打破できる」との思い。
いや、ただただ思い込みたかったのかな。
感覚的に身体も心も自分自身と向き合うことを拒否した中での日々。
周りはもう関係ない状態で、
「自分が自分とコミュニケーションを取れない」
んです。
「誰が本心に気づいてやるんだ」
という話。
「人はサポートはできてももしかしたらきっかけや答え(に近いもの)を教えてくれるかもしれないけれど、腑に落ちるかどうかはすべて自分でしょ」
商売を閉じたのが2012年秋(もう6年半)ですが、閉じ方があまりにもつらいものだったこともあり、何年この話を引きずったのか…(今もありますよ、たまに感じています)。
仕事でもプライベートでも何でも
「きれいに閉じましょうね」
という単純な話をしたいというよりも
「自分次第で閉じましょう。区切りをつけましょうね」
ということが一つの見方として伝えたいなとの思いから今朝のブログは書いています。
独立とか起業とか仕事としてのパートナーだったりコンサルをつけていて協力できる環境やフォローアップの体制を整えている人はいいと思いますが、本当に一人で突っ込む人は余程自分を律する人でないと揺れたりブレたりする時に対応が利かなくなってくると思います。
すごく客観的な無色透明とも思える第三者のポジションからの意見や声というのは参考材料になったり、自分を省みるのは大切なことではないかと思います。
人を置くのがあまり好ましくないのであればお庭を眺めたり、石と向き合うなど何かを心の鏡にしてみることもおすすめします。
どこかに属した働き方でも個人事業主であったとしてもどういう立ち位置で日々を過ごすのか。
それが新たに何かをはじめる人にとっては特に大切な部分。
立ち位置が明確になり、自分次第で物事を捉えらえるなら、始めることもできれば閉じることもできるようになってくるはず。
ここが楽に進められると執着することもなく、また『Re start』切れますから。
何をする以上にどうあるのかがすべてだと思っています。
やりたいことあればとことんやっていきましょう。
そして、違ったり手放す時期がくればしっかりと閉じていきましょう。
というお話で今朝は書きました。
かなりの長丁場に。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
それでは今日も素敵な一日となりますように。