結局、すべて自分で選んでいたんだ
おはようございます。
横山です。
目覚めの朝。
「今、気付いている新しい価値・可能性をこれから広げていきたいと思う方にちょっとした気づきやきっかけのタネを届けるブログ」を読んでいただきありがとうございます。
タイトルから。
2018年以降、自分のペースでほぼ仕事をしています。
日程調整も基本自分で管理。
もちろん人との調整はあるものの、基本的に自分自身を真ん中に置いています。
真ん中に置いているのは好き勝手とかわがままということではなく、線引きを意識しているということ。
例えば、
まずは身体優先。
休みを適宜取る。
連勤して基本は仕事しない。
午前中に書き物とかか資料関連に時間を使う。
午前・午後でインタビューや人の話を伺う時間にする。
日の入りとともに活動をほぼしない。
など。
無理をするってなんぼでもできるんです。
身体も心も無視をすれば。
それは何年も何回も経験してきました。
5年半ほど前、毎日職場に朝から夜まで行って、11日続けて店舗に会社に往復して、家に帰ってふらついて布団をひかないまま寝る。
「身体も痛い」
「気分もすぐれない」
溜息ついた時に「ピコン」とLINEが届いて、仕事モード。
休みがあっても仕事モード。
結局、心身持たずに潰れました。
今、思えばやりようがあったと思うものの、自分の中では精いっぱいだったというのが正直なところ。
当時、会社に属して仕事をしていた時は
「これが最後のチャンス」
という思いでした。
それは商売に失敗したこともあり、その後違う仕事についてもうまく行かず、この機会を得た時に
「ようやく芽が出てきた。この大好きな場所で仕事ができるなんて」
との思いが先行していました。
「大好きな街」
とか
「大好きな場所」
とかプラスの要素ってある種引き寄せている部分もあると思います。
自分で自分のステージを作り出す感覚。
そこで描きたいものを強くイメージして、結果、色んな努力や情報へのアンテナの貼り方で、ドンピシャで目の前にあらわれる。
まさに、理想。
「ここまでの苦労はこの目の前の現実のためにあったんだ」
「みんなありがとう!」
「そして、これからこの舞台で頑張るよ!」
と当時(5年半前)はなっていました。
今、思えば感情を盛っていたのかも…。
明らかに前のめりできる状況を作り出していたなというのが振り返りで気づくこと。
明らかに忙しく。
明らかに動き回り。
そして、自分を鼓舞して、動くことで自分の成果を出そうと。
さらに、その様(様子)を周りに見てもらうことで、自らの存在価値を伝えて(押し付けるがニュアンスとしては正しいかも)いたのかなとも思います。
ただ、「仕事量が多い」と「〇〇さんが動いてくれない」とか口酸っぱく言っていたこともあったけれど、その状況を作り出していたのって結局、誰だったんだという話。
「自分じゃん」
「自分」
「自分」
ここ大事だから3回連続で言う。
このことに限らず、すべて自分自身で作り出しているとよりあり方や立ち位置を意識して生きていけるかどうか大切だなとあらためて思います。
最初の方で書いた、今の自分自身が大切にしていることで挙げたことを日々やっていたら、身体も心も平和そのもの。
自分で選んでいるというのもある意味責任を持ち、結局、「やるやらない」の世界だから
「決めて生きている」
というのを実感することにも同時になっています。
「流されているな…」
と思った時、自らの立ち位置に立ち返るのか。
わがままとかそんな話ではなく、
「自分で自分を守らなくて誰が守るんだ」
という話。
親、兄弟、家族、パートナーと守ってくれるかもしれないけれど、ワンクッション置くよりもまずは自分の決定権を自ら持っているということだけのこと。
ふと、朝カフェでまったりしていた時にタイトルの
「結局、すべて自分で選んでいたんだ」
が出てきました。
すべて選べます。
あとは決めるかだけ。
一つ変えるとそこから歯車は少しずつでも動き始めますよ。
ちょっと長くなりましたが、このブログはここまで。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
続きはまた次回ブログで。
それでは今日も素敵な時間をお送りください。
横山