大丈夫、だからもう一度
おはようございます。
横山です。
目覚めの朝。
「今、気付いている新しい価値・可能性をこれから広げていきたいと思う方にちょっとした気づきやきっかけのタネを届けるブログ」を読んでいただきありがとうございます。
タイトルから。
ずっと、何度も何度も過去に心の中でも言葉にしても自分が自分に掛けていた言葉。
そこに気持ちが乗っていなかった時もあったかもしれないけれど、
「このまま終わりたくないよな」
「もう一度、表でがんばってみたいよな」
との思いは動けなくなった時期にほんの一瞬かもしれないけれど、暗闇の中で微かな光を放つようにふと頭を過ぎりました。
ただ、この一瞬で「ふわっ」と出てきた感情も頭で今の現状を瞬時に分析するかのごとく打ち消して、素直な思いをなかったことにしてしまうこともやりました。
一人、孤独に。
今をどうやって過ごすのか。
これから何をはじめればいいのか。
「もう一度って言ったって、また同じことを繰り返すかもしれない」
「もう2度と失敗は嫌だよ。だから…」
動けないことも今の姿かもしれない。
ただ、一人では頑張れないことも、誰かあたたかく見守ってくれる人がもし伴走してくれたなら動き出しももしかしたらスムーズだったのかなと昔の記憶をたどると思い出されます。
今ははっきり言える。
「大丈夫、だからもう一度」
と。
結局、何をやるかで自分の価値を決めてしまうとそれができないとなった時、また壁にぶつかってしまう。
「できない=無価値」
となりがち。
自分もそこで判断をしていたし、もしかすると多くの人がそこで見てしまうかもしれません。
しかし、何をやるかより、どう在るのか。
どう生きるのかで物事を意識してみると。
結局、世の中で言う公序良俗に反しなければ、
「これが一番自分の輝く姿だ」
とありありと身体と心でいっぱいに出せることなら何をやってもいいんじゃないかと最近思うようになりました。
TOPでバリバリ働き続けるのもその人が心から望むならOK。
専門性を高めて、ニッチかもしれない分野を掘り下げて、未知の領域の道を切り開くのもOK。
ただ、自分自身が興味を持つことを知識として深めていくこともOK。
一人趣味を貫くのもOK。
もうなんでもOK.
ここで大切なことは
「自分のことをしっかりと見て、感じて、だましちゃいけないよ」
ということ。
「かっこいいから」とか「人に認められたい」からで選ぶと結局他者ありきな日々になってしまいます。
心があたたかくなる瞬間、それは人それぞれと思います。
何が琴線に触れるのか。
心が喜ぶ時。
心が喜ぶこと。
身体も喜ぶ時。
身体が喜ぶこと。
何でもいい。
本当に何でもいい。
素直にそのままを。
そして、大丈夫。
だからもう一度歩き出せればいいなと。
何度でもいい。
それもすべて必要なことだから。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
続きはまた次回。
それでは今日も素敵な時間となりますように。