朝、お風呂に浸かっていて思ったこと
おはようございます。
横山です。
目覚めの朝。
「今、気付いている新しい価値・可能性をこれから広げていきたいと思う方にちょっとした気づきやきっかけのタネを届けるブログ」を読んでいただきありがとうございます。
タイトルから。
5時前に目が覚めて、まずはお風呂。
ゆっくりと長風呂。
静かな時間。
湯舟にゆっくりとお湯を貯めて、時折温度調節をしながらゆっくりと過ごす。
ただただ入りたい時間だけ。
身体をケアしつつ、今日の動きをイメージしてあとは「ボーっ」と。
ゆったりした時間を味わっていく。
ふと、思ったこと。
朝風呂に限らず、当たり前のようにお風呂に入っているということ。
蛇口をひねれば、お水とお湯に分かれてどちらかが出る今のお家。
「何か不思議なことを言っている?当たり前の話じゃん!」
という声ももしかしたら聞こえてくるかも。
お家があって、公共料金を支払って、故障もなければ基本的に当たり前のようにお水もお湯も(給湯や沸かすなどして)出てきます。
でも、これって日本では通じる話で、諸外国に目をやれば当たり前でない国もあるわけで。
「水が資源」という意識から少しずつ水源の話もちらほらしている方も周りにはいるものの、「基本、安全で飲めると言われている」のが日本の水の環境。
ただ、これを当たり前と思うときっとあとでしっぺ返しを食らうことになります。
本当は地震などの災害で何度も体験しているはずなのに、
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」
でたぶん遠い記憶になってしまっているんでしょう。
大概のことは当たり前ではなくて、一つひとつのプロセスがしっかりと築き上げられた中でのもの。
ふと、お湯に浸かっていて思ったこと。
早速、今日もそんな思いを持ちつつ動いていきます。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
続きは次回ブログで。
それでは今日も素敵な時間となりますように。