困難と思えることほど真正面から見る
こんにちは。
横山です。
「今、気付いている新しい価値・可能性をこれから広げていきたいと思う方にちょっとした気づきやきっかけのタネを届けるブログ」を読んでいただきありがとうございます。
タイトルから。
最近、周りでちょっと体調を崩したり無理をしているかなと気になる方がいます。
直接、やり取りする方とは
「大丈夫ですか?我慢していませんか?」
と聞くのですが、大抵は
「大丈夫です」
「ここを乗り切れば楽になるので」
という返事。
この返し(返事)、よくやっていたな自分と思い返していました。
今が大切。
この瞬間が大切。
そして、その積み重ねが先につながってくる。
だから、頑張る。
それはOK。
でも、頑張りすぎて身体に心に負担が来てしまったらどうでしょうか?
自分の心の中から湧き出てくるふとした感情までも蓋をしていませんか?
本当は「ここ」が心配のタネ。
あの部分がずっと気になって気になってしょうがない。
でも、そこを見てしまうとその先どうなってしまうのか、相手のこともあるし。
そして、例えばブレーキをかけるために
『倒れないと気づかない』
ということにも。
「やっぱりそれはダメだって」
「その体験もすべて自分自身で選んでいて、その結果もその人の成長になりえる」
なんて声もどこからともなく聞こえてきそうですが、
「取返しつかなかったら誰が責任を取れるんだ!」
という話。
人の人生、その人本人しか結局責任は取れない。
どれだけ身近でも好きでも大切でも寄り添うことはできても、結局、最後は一人ひとりが自らの責任を持って生きている。
心の中を隠して。
演じた姿でその場をしのぐ。
オンとオフを切り替えた瞬間、心身ともにぐったり。
出てくる言葉は愚痴やだれかの悪口。
もし、そうなっていたら自分自身がニュートラルではなく、そして何らかの影響を受けた中で本来の自分自身からは程遠いような発想や行動になってしまうことも。
一人で解決できることなら「やるからやらないか」の判断をできるか。
その際はニュートラルであれることが大切。
感情のままに動くのはどうなんでしょうか。
そして、相手が出てくるならコソコソ対処するのではなく、思い切って真正面から。
簡単なことは何でもすぐにできそうですが、
「困難だな」
と思えることほど正攻法で真正面から当たっていくのもいいのかと思います。
「もう逃げない。向き合う」
という気持ち。
それはこちらも逃げられないということは相手から見ても、逃げられないor逃げずらいとなりえるので。
最近、隠すことが難しくなってきたのは社会で起きる様々な事象からもうお気づきと思います。
「コソコソしている方が目出つ」
そして、ウソや偽りはもうばれやすい世の中。
何でも最後は正攻法で真正面から取り組んでみるのも一つかと思うことがあってのブログでした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
続きはまた次回。
それでは今宵も素敵な時間をお送りください。