どんどん手放していく
おはようございます。
横山です。
いつも「自分らしく生きる」ブログを読んでいただきありがとうございます。
昨日、ラジオの収録でした。
ゲストさんとのやり取りの中で、「2018年中に何をやっておけばいいですか?」と話になり「捨てる」がまず出てきました。
わかりすいのが服。
もう何年も着ているものはありませんか?
例えば肌着など、ついつい日常生活において外なら余程のことがない限り見えないと思いがちに。
でも、長年着ているときっと真っ白なシャツがどれだけ洗濯技術が向上したとしてもきっと新品の姿ではないはず。
「まだ着られるから」でそこにずっと留まり続けると、新しいシャツは入ってくるでしょうか?
これは服だけの話ではないです。
もう必要のないもの。
今、家やパーソナルな空間にいたとして、周りを見渡すと最近触れていない場所とかものはありませんか?
それは必要でしょうか?
もし、「来年夏にいる!」となったとして、そこに置き続けることには意味がありますか?
片づけるも一つ。
もう捨ててしまって、来年夏にまた揃えるのも一つ。
限りある空間、容量をどのように生かすかどうかもすべて自分次第です。
このブログを書いていて、自分ができているかと言うとまだまだできていないというのが正直なところ。
「よこやん、ブログに書いていたけれどいらんものどんどん捨ててる?」と会った時、覚えていたなら聞いてください。
気づいたところからどんどん捨てていきますので。
「捨てる」
そして、「手放す」。
モノだけでなく、もうご縁がない方ともお別れの時期かもしれません。
誰がいいとか悪いではなく、その時々でウマが合ったり必要な方ってきっと変わってくると思います。
限りあるものを最大限に生かすも殺すも自分次第。
「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないですが人が些細なちょっとしたことと思うこともすべて道筋がつながっていたりします。
必要ないものを捨てる。
それが服1枚、紙切れ1枚であってもその瞬間、余白が生まれる瞬間でもあります。
「自分らしく生きる」と決めてそこへ向かっていくなら、まず、素直にそしてうそをつかない。
どんどん手放していくと本当に新しく、本来求めているものが手に入りますよ、きっと。