自分が反応した「タネ」から目を逸らさない
こんばんは、横山です。
いつも「自分らしく生きる」ブログを読んでいただきありがとうございます。
このブログタイトルにある「自分らしく生きる」というキーワード。
ただただ好き勝手に生きるという意味ではありません。
自分の定義としては「素直」が大切な部分です。
すべてに「素直」であれるのか。
ある事柄に反応をして、感情としては「ある」のに「ない」ことのように振舞ってしまうことがあれば、それは「自分らしく生きる」とは遠い感覚です。
それは望まない姿。
偽った自分自身。
だから「ある」ものをしっかりと見ていくことに意識を向けています。
さて、先日、ある感情が湧いてきました。
「恐怖」
「怖さ」
昨年末の寒空の中で感じた同じような感覚を再び思い起こさせました。
自分の中ではもう終わったと思っていた事柄。
でも、本当は心の中でこの「恐怖」や「怖さ」はあり続けました。
今、振り返ってみても「ある」なと思った瞬間や出来事がありました。
「もう大丈夫」
「あんなこともあったな」
と思っていたもののずっとくすぶっていた感情。
それが久々にばっと目の前にあらわれた。
「まだ、あったんだ」
もっと言うと、「まだ、許していなかったんだ…」
外野にいるのに自分もそこに反応している。
浮かんでは消えが続くもずっと頭の中で回っている。
でも、歩いてふと気づいたんです。
「これって他人ありき、他人次第になっていないか」
ずっとその無駄とも思えることに意識を向け続けて自分は幸せなのかな。
あと、出来事をより大きくして見ていないか。
フラットであれているか。
ニュートラルだったか。
ただただ自分の中で
「恐怖」にフォーカスを当てて、自分で強化していないか。
「自分次第で生きるって決めたやん」
出来事ではなく、本来見るべきところは反応した「タネ」。
そこがポイント。
反応をしているから「何かがある」と思ったわけで、もしかしたら本当は違うかもしれない。
そして、もう一つ大切だと思ったのは感情をないものにしてはいけないということ。
その感情は自分の中にある。
「ある」のに「ない」としがち。
見ないふりをすることで、「ない」ようにふるまう。
でも、「ある」。
その感情は「ある」。
ということはここで、自分自身がこの恐怖と思える「タネ」の部分と直面しないと、今後、この「タネ」を残したまま進んでしまうんじゃないかと歩いていてクリアになっていきました。
今、湧き出てくるこの感情と向き合うことがはやっぱり大切だということ。
そして、これから本格的に仕事を進める中で、反応ポイントがあるのをわかっていて放置し続けるのはどうなのかなと思いました。
動き始めると色んなお試しが来るようです。
ということはここを超えると一気に広がる兆しなのかなとも思います。
しっかりとニュートラルな立ち位置を心掛けて、自分の心に正直な選択をします。
日々、色々と気づく日々。
そこをオープンにこれからもシェアし続けます。
ここまで読んでいただきありがとうございました。