【ただ、話を聞いてほしかった】
おはようございます。
横山範葛(よこやまのりかず)です。
このブログは0から1へと「Re start」しようと思っているあなたへ。
「もう一度ここから始める」と決めて動き始めようとしているあなたにちょっとした気づきや閃き、きっかけのタネを届けるものとなっています。
今日の目覚めはどうでしたか?
ここ数日、私自身のことを振り返る時間を取っています。
中学時代。
学校に行かなくなった時、まさか自分が長期で休むとは思ってもいませんでした。
ちょっと勉強がわからない。
部活が嫌。
何か制服を着るのがきらい。
あと、友達関係も変わっていったのかな。
ずっと居心地が悪くて、「あっ、休もう」が続いていきました。
ただ、罪悪感はずっとありました。
「休んだら成績に響く」
とか
「段々友達がいなくなる」
など。
ずっと1年ほど気にかけてくれた友人もいて、休んでいても家に来てくれました。
ただ、会うことはほとんどなく、母親と話をするのを部屋からこっそり聞いての繰り返しでした。
そして、その友人とも疎遠になっていきました。
本当は話せたら良かったんですけどね。
ただ、友人と面と向かって話す勇気がありませんでした。
あの当時はネットでやりとりをするとかもなく、一人になってしまう。
テレビが友達ではないですが、地上波の放送が終わる時間に近づくと寂しさが募ってくる。
当時、金曜日は通販番組と生放送の番組が立て続けに放送されていて、それがライブ感を味わえるという意味で、その日は午前3時頃まで楽しむ自分がいました。
特に週末になっていくので、「来週こそは動こう」と気持ちを高ぶらせるタイミングともつながっていたと思います。
私自身に負荷をかけてでも、今をどうにか動かしたいという気持ちはあったと思います。
あらためて振り返って気づくこと。
話をしたかった。
話を思うままにしたかった。
聞いてほしかった。
私の話を聞いてほしかった。
その後、色んな方のサポートを得て行くのですが、それは20代の話。
友達だったり、コーチだったり、カウンセラーなど様々。
今は親にでも。
しかし、10代前半、中学・高校の時代には話せる人がいませんでした。
話をしようとも中々思えませんでした。
向き合ってくれる人が当時いたならば。
ふと、考えてしまいます。
同時にその時の思いがあるからか、余計にサポートの大切さを今、あらためて感じているところです。
大切なきっかけ。
一人ひとりほんの小さなことであっても。
「今日もここから」
「今、ここから」
いつでもここから変化を作っていけます。
それでは今日も素敵な一日となりますように。