執着して、前のめりになると
こんばんは、横山です。
夜のフリートーク。
今日はどんな一日でしたか?
このブログは「Re start」したあなたへ。
「もう一度ここから始める」と決めたあなたにちょっとした気づきや閃き、きっかけのタネを届けるものとなっています。
今日も日差しの強い一日でしたね。
「あっ、これは厳しいかも」と感じさせる太陽の光でした。
受け取れるものは素直に受け取りつつも、自分にとっては必要ないものは手放して。
太陽の光もまた日傘や日陰で過ごすこともすべて自分次第で選べますよ。
そう、すべて選べる。
自由に選べる。
フラットに今を見ることができれば最善の選択をただただ積み重ねるのみ。
ただ、そんな中でちょっと物事や人・あとは立場やポジションも含めて執着し始めると少しずつ歪なゆがみが出てきそうな気がします。
自分自身が斜めであったり、前のめりに見えているとそのもののそのままを見られずに何かカタチを変えて捉えてしまう。
その捉えがまた歪みを生み出して、どんどん自分の思いとは違う方へ進んでしまう。
こういう時、ややこしくするのはほんの少しずつズレで行くこと。
気付いた時には結構時間が経過した後。
戻るにしても再構築するにしても時間が経過する。
ただ、こういう場面になった方がいらっしゃれば思い出してほしいです。
「兆し」ありませんでしたか?
何か感じたズレ。
ほんのちょっとかもしれないけれど気になること。
「まぁいいか」
「気のせい気のせい」
と流してしまって小事が大事に。
そんな経験もやってみるからこそわかることも多いのでしょうが。
そういう時って大抵、思い込みも含めて何かに執着しがちで起こりやすいものかもしれません。
今、ちょっとイメージしてみてください。
何か頭の中で四六時中あること、ありませんか?
フラットに見ることができますか?
あと、客観的にも。
それが主観、主観。
思い込み。
前のめりになって「あー!」となりそうだったらちょっと深呼吸。
あと、思いの丈を出てくるままにノートに書き出してみましょうか。
それで気づくこともまた。
ふと、出てきた話題で夜のフリートーク。
それではおやすみなさい。
また、明日。