物事が動き出す時
おはようございます。
横山です。
目覚めの朝。
「もう一度ここから始める」と決めたあなたにちょっとした気づきや閃き、きっかけのタネを届けるブログを読んでいただきありがとうございます。
タイトルから。
ここ数日、物事が動き出す兆しや流れを感じる場面が続いています。
昨日のように
(せっかくの機会。ただ、受け取り方一つで流れも変わる - Re start 「もう一度ここから始める」と決めたあなたとともに歩み続けるブログ」)
予想外に時間ができて今、やっていることに力を注げる機会が急にできたり、これまで手持ち使っていた家電や長年使っていたものが急に調子を崩して使えない(使いづらい)ことになったり動きを体感中。
あと、半月ほどで振り返ってみると身体にも出ました。
これも反応なのでしょうか。
取捨選択。
断捨離の時。
向かう方向が定まると、あとは写真を撮るようにしっかりとピントを合わせてクリアにしていけるか。
癖や抵抗でピンボケをしたり、本来目指そうと思ったことからズレたり、ここは腹を決めてやりきるかどうかの分かれ道。
やるのも自由。
やらないのも自由。
そこには誰の関与も本来はなく、結局選んでいるのはすべて自分自身。
他人(他者)を言い訳に出すとすごく楽。
「だって、あの人が悪いから」
とか
「環境が整っていないよね、無理無理…」
「その言葉、本心?」
「腹の底でも思っている?」
できない理由を並べるときっとそれは切りもなく出てくることも。
「それは自分の本心?」
もし、そうならしょうがない。
それが望む姿であれば。
「でも、やっぱり違う。もう一度、ここからはじめる」
そう思えるなら、待つのではなくて、今から、ここから、その一歩目を進めてみる。
赤ちゃんが何かをするように、そのベイビーステップを見定めて。
そこに意識をして。
その一歩が絶対に変化となる。
景色も変わる。
微細であっても進んだのは事実。
それが例え螺旋階段のように進んでいるのかわからない錯覚になろうと、最初はゴールに遠ざかるような動きであったとしても動くことで気づくことや体感はあるはず。
そして、大切なのはその一歩を進み始めた時に湧いて来た感情。
中から出てくる反応。
相手の反応ではくて、これは自分自身のこと。
すべて自分自身の反応をまず確認すること。
何もなければ「凪」。
ただ、時間だけが通り過ぎて行く。
目の前を人が通り過ぎて行く。
機会もまた。
しかし、動きはじめたり流れが来ると感覚でも掴める色んな事象が起こりやすい。
それは「兆し」とも言えるし人によっては「吉兆」とも。
今、まさにその真っ只中。
『物事が動き出す時』
ここまで読んでいただきありがとうございました。
続きは次回。
それでは今日も素敵な一日となりますように。