【自分にウソをついてしまうと(何度かその場を全力で逃げてしまった時のことがふと思い浮かび)
こんにちは。
Re start コンシェルジュ 横山範葛(よこやまのりかず)です。
ウソ、簡単につけるかもしれません。
特に人に対しては結構ごまかせることがたくさんある気がします。
「見栄を張る」
「虚勢を張る」
それが確認できないことなら、どれだけでも膨らませ行ってしまう一種の麻薬のような感覚。
きっと、一回この感覚で称賛を浴びたり、褒めてもらうと
「次もまた」
「もう一回ぐらいいいかな」
となって、自分の立ち位置がわからなくなるぐらいに、演じて、演じて、本人さえもどれが仮面で実像か見えなくなることも実際あると想像します。
ごまかしたくなる気持ちもわかります。
昔、子供の頃にお年玉の金額で友達と言い争いをしたことがふと浮かびました。
5・6,000円の差があったのかな。
「あかん、負ける」
と思って、今度、会う人までたしか人数と金額ベースで入れていました。
たしか、これって最初の小学校時代だから小3とかのレベル。
負けたくなかったんでしょうね。
比較してしまったんでしょうね。
だから、ウソついても、ごまかしても「いいや!」となった気がします。
ただ、ちょっと年を重ねて、学生時代(中学生)とか大人にもなってかな、何かいたくない場所にいて、そこからなりふり構わず全力で逃げた場面も出てきました。
中学校の部活で「無理」となって全力。
あと、ある場所での苦痛とも思えることで、全力で(たしか、それは新幹線に乗っての帰阪)。
「もう無理」
それも思い返せば、やりたくないのに
「やります」
「やりたいです」
と言ったところから始まっています。
結局、自分が作り出している世界。
誰が悪いとかではなくて、すべて自分の選択の積み重ね。
ウソをついても欲しかったもの。
偽ってでも欲しかったもの。
それはきっと自分の内側から出てきた紛れもない本音。
しかし、手段が違ったのかもしれませんね。
今なら、違う選択があることも知っています。
何か、サインか気づきの機会になれば幸いです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。