【評価をされて、その時私は(過去の振り返りを通して)】
こんばんは。
Re start コンシェルジュ 横山範葛(よこやまのりかず)です。
日々、生きている中で色んな評価をされることがあると思います。
採用試験であれば、合否。
または何かの審査もまた評価をされる時だと思います。
明確な点数という試験のようなものであれば、そこには自分次第の頑張りであったり努力によって結果を変えていけるのかもしれませんが、他者(他人)が評価や判断をするならば、ある意味準備はこちら側で出てきても最終的には結果を手放して「待つ」という場面になってくるでしょう。
そこで出た結果。
望むもの。
望まないもの。
ここで望まない結果が出た時、よくやりがちなのはその結果に対して自分自身まで否定しがちということ。
あくまで、今回は望まない結果だったということ。
そこには人としての否定とか「ダメ」という烙印を押されたわけではないということ。
ただ、僕自身も転職活動をした時に数百社の不採用をもらい続けていると段々と自分自身の無価値を感じてしまうことも4・5年ほど前はありました。
自分自身と結果をわけて考えられるのか。
特にこれから色んな価値観や基準がこれまでと変わって行く可能性がある中で、これまでの思い込みやスタイルが機能しないかもしれません。
ただ、それは自身のすべてを否定されているわけではないということ。
そこは決して間違わずに新しい時代へと進んで行ければと思っています。
みなさんはどうでしょうか?