【「生きる」と「よりよく生きる」の違い(横山の感覚から)】
こんばんは。
Re start コンシェルジュ 横山範葛(よこやまのりかず)です。
ほんの10年弱前生きるのに精一杯だと感じていたころ、
「食べる」
「寝る」
「一人になる」
ことができればそれで充分と思っていました。
「食べる」ものがあれば十分。
白いご飯が炊きたてである幸せ。
「寝る」幸せ。
椅子を重ねて寝るのではなく、平なところに布団を敷いて、地べたからの冷たさを感じない時間が続く幸せ。
「一人になる」心の余裕。
年中、誰彼がいる環境ではなく、一人深呼吸ができる時間。
誰の目も気にならない心の自由。
「生きる」に必死だったころ、2010年代の話です。
お金がないだけでなく、心まで閉ざしてしまうと「助けて」のSOSも出せません。
これは「行政が」とか「サポート」がという話ではなく、誰に対しても壁を作り、聴こえてくる声が「それを自分にとってネガティブな話をしているだろうとの思い込み」から聞きたくなくなります。
もちろん、すべてがそうではなかったとしても身近な人が万に一つたまたま発した
「ダメだよね」
「何をやっているんだろう、あの人は・・・」
がさらに深く谷底へ沈むような絶望感に突き落とされる気持ちになります。
これはあくまでも想像した自分自身の世界の中で繰り広げらているいることです。
ただ、「怖さ」や「恐れ」という気持ちが自分の中にほとんどを占めていたら、もうそこから抜け出す余白も生まれにくいと思います。
再スタート。
再構築。
フラットにこの言葉を言うと、きっとイメージも様々だと思います。
ただ、場合によっては人生が左右することもあります。
まさに「生きる」がテーマになり、そこから「よりよく生きる」へと想像していくと、一つ二つに違いを作っていってすぐに答えが出てくるとは言えないと思います。
この10年弱の歩みを振り返り、今の僕から自分を見ても、「何を変えた」と言えないくらいにありとあらゆることに違いを作ってきています。
そして、現在もその途中です。
もっと言えば、一生この取り組むは続きます。
しかし、最初の一歩であったり、継続して違いを作っていくことで確実に変化は生まれます。
それが「生きる」から「よりよく生きる」へ。
「よりよく生きる」を意識し始めるようになると衣食住すべてにおいて、それまで幸せだと思っていたことからさらに良くしていきたいとの気持ちが深まります。
「食べる」にしても旬の食材をいただく。
心のこもったお食事をいただく。
「寝る」にしても快適な部屋で室内でも心地よく過ごすことが大切になってきます。
「一人になる」のもまたそこから自由であったり、安全であったりと得たいものが変わってきます。
きっと「生きる」に精一杯だったところから「自分で選べる」ことでより変化を作れると気づけたからです。
そして、気づけるサポートがあったからだと思います。
その時々で必要なサポートは変わってきます。
「水がほしい」
「水分が」
という人に自然の湧き水ももちろん喜んでもらえるとは思いますが蛇口をひねった水でもその時は最適なものです。
人それぞれのその時の立ち位置によって「選択」も変わってくるということです。
「生きる」に必死な時。
「よりよく生きる」と決めた時。
すべて選び続けることで如何様にも時間をかけて変えていけるはずです。
再スタートの場面。
まず、「生きる」が今の中心であれば、それを深めることがその先へとつながる大切な道筋になるはずです。