今を止めているのは誰?
おはようございます。
横山です。
目覚めの朝。
「今、気付いている新しい価値・可能性をこれから広げていきたいと思う方にちょっとした気づきやきっかけのタネを届けるブログ」を読んでいただきありがとうございます。
本日のタイトル『今を止めているのは誰?』、ふと目覚めた時に浮かんだことでした。
昨日、「手に入っているものと手に入っていないものの違いって何だろう?」と思うことがあり、あれこれと考えていました。
一つの結論は出ていたけれど、今朝になってあらためて気づく。
「あっ、すべて自分次第だ」
あらためて問うこと。
「今を止めているのは誰?」
家族?
パートナー?
会社?
社会?
たまたま隣にいる人?
違う。
たぶん違う。
すべて自分。
自分自身が止めている。
「あれ、いいな」と思うことも本当はできるのかもしれない。
理由はどれだけでも頭の中で作り出せることができるのかもしれないけれど、実現することでの恐れがそこにはあったりするのかもしれません。
「止めていることで安心している部分もあるんじゃないか?」
「いや、時間が」とか「お金が」言いたくなる。
じゃあすべてそれを取っ払ったらどうなる。
やらない理由はない。
でも…。
ただただ、やらなくて済むように持って行っているのかもしれない。
今、描いているものがすべてかたちになったとしたらどうですか?
「うれしい!」
「幸せ!」
となると思う一方でもしかしするとちょっとしたざわつきも人によってはあるのかも…。
叶うことで進んでしまう。
今、それなりに安定して、不満の中にも満足があるならば「手放したくない自分」がそこにいるのかもしれません。
現実化すると進んでしまう。
もう昨日やさっきまでとは見聞き体感する世界が変わってしまう。
結局、決められるかどうか。
決めてそこに向かって歩き続けられるかどうかという話に。
このブログを書きながらも問い続けています。
「自分はどうなんだ?」
「止めているのは誰?自分じゃん」
ただ、そこで「できるんだ」「やれるんだ」と無理に思わせることはあまり意味がないと思います。
力業でかたちにできることもあるでしょう。
でも、力業ってすぐだったり先だったりで弊害を生んでしまうこともあります。
無理をしているわけですから。
だからこそ、それが登山で言うところの頂上を目指すというゴール設定だとするならばしっかりと登っていくプロセスを見ていく。
一つひとつの道筋を確認して、一合目・二合目とまずは見える範囲(確認できる範囲)で大丈夫なのでゴールを設定して、まずはそこを目指す。
そのゴールの積み重ねが結果的に大願となっていく。
手順は基本変わらない。
あと、「この山に登るんだ」と決めた時の心身の変化も大切。
ちょっとしたざわつきや心の変化があったとするならばそこはしっかりと見ていく。
「そこにはどんな感情があるのか?」
「それは何から来ているのか?」
その微細な部分も含めて、今の姿を現しているはず。
そして、それは内側から出る自分が自分に投げかけているメッセージだと思います。
今朝、移動中も問う時間でした。
今回は『今を止めているのは誰?』でブログを書きました。
続きは次回ブログで。
それでは今日も素敵な一日となりますように。