一発逆転ではなく、今を積み上げていく
こんばんは。
横山です。
「今、気付いている新しい価値・可能性をこれから広げていきたいと思う方にちょっとした気づきやきっかけのタネを届けるブログ」を読んでいただきありがとうございます。
今日は今年の締めの日になったという方も多かったのではないでしょうか。
うまく、今年を締めくくれる人もいればもしかすると色々と思う中でこの年の瀬を過ごされている方もいらっしゃるかもしれません。
そして、ついうまく行っている人がまばゆく見えてしまうことも。
自分も一人で今のように動き始めるまでは何かのブランドや肩書に頼って、どうにか自分を高めようと躍起になっていた時期がありました。
それは同世代や同級生、周りとの比較でしか自分自身の在り方や立ち位置を見つけられなかったからです。
特に高校を中退して、成人直前まで高校中退の状況が続いていたこともあり、より隣の芝生は青く、周りの人たちが輝いているように思えました。
そんな時、誰に相談していいのかもわからず、つい眩く輝く肩書や何かチャレンジをしている気になれる立場が欲しくてもがいてもがいてもがきつくしていました。
どうにか20歳手前で大学入学資格検定(今で言う「高等学校卒業程度認定試験」)を取得して、大学に行きたかったけれど学力がなくて、通信制の短大に入学。
短大の2年間に大学3年次編入試験の勉強をして、行きたかった大学を3年次から入学するべく勉強する専門学校にも入学。
ただ、勉強をする癖がついていなかったこともあり、周りは2年で卒業と同時に3年次編入へ。
でも、自分は不合格。
ただ、負けん気というかあきらめたくないからか何とかしてもう一度と思い、編入浪人して、1年遅れで立命館大学政策科学部に3年次編入学しました。
がむしゃら。
でも、年齢は大学3年生の時に新卒なら社会人2年目の時でした。
いつどこでも自分の周りは年下ばかり。
ずっとそれも悩んでいました。
そういう時は
「何とかしてこの遅れを挽回しよう」
「何か一発逆転はないかな」
今、思えばそんなことばかり考えていました。
ギャンブルのような一発逆転をイメージする生き方。
肩書あれば、「なんかすごいと思われることをやっていれば全部帳消しできるんじゃないか」とそんなことをずっと思っていたのかもしれません。
そういう気持ちがある意味すさまじいエネルギーを生んだり、突破口になったりとメリットのような部分もあったし、たくさんの出会いもあったもののそれと同じかそれ以上に心身ともに痛めていたのかもしれません。
今、思えば。
結局、その発想というかスタンスが身体に染み付き、その後も何か追い込まれると「一発逆転」を狙う人生を送っていたように思います。
魔力にも感じるくらいにたまに成功するので余計に立ちが悪い(あくまでも個人的に)。
でも、今、あらためて思うのは本当はもっとていねいに一つひとつ自分で刻んでいく生き方が合っていたということ。
もっと言うと演じた自分自身はつらかったということ。
ウソや偽りがほぼ機能しない時代となったと個人的に感じるようになり、ようやく過去の出来事とも向き合えるようになりました。
一発逆転の魅力もわかる。
ただ、同時に魔力もわかる。
『一発逆転ではなく、今を積み上げていく』
今の時代だからこそ、あえて声を大にして言う思い。
このブログはここまで。
続きはまた次回に。