【孤独と「再スタート」】
こんばんは。
Re start コンシェルジュ 横山範葛(よこやまのりかず)です。
連日の寒さ、お身体などに疲れなどは出ていませんか。
『孤独と再スタート』が今日のテーマです。
「孤独」
たぶん2021年のキーワードの一つになってくると思います。
コロナのことも一つかもしれませんが言えない本音というのが色々と出てきているような気がします。
そして、それを誰にも言えないからこそ孤独を感じてしまう。
ネットの世界で分かち合おうと見えない部分で意見を合わせて行っても何かの拍子で「血が通わぬ冷たさ」を感じて、たじろいでしまうこともあるかもしれません。
昨年から会いたいと思うタイミングで会えていない人が何人もいます。
オンラインでのつながりが本当に便利で、そして、移動をともなわないメリットがあり、時間の使い方というところでは変わってきました。
それは恩恵です。
ただ、そこにはデメリットもあって、体温とか肌感覚とか触れるからこそ感じるあたたかさ・実感が以前より減っているのもまた現実だと思います。
それは縁の深さによって違いはあったとしても、特にこの寒さを肌で感じた時、ふと出てくる孤独を感じて出てくるものがあるかもしれません。
何を思うかというのは人それぞれとは言え、
「つらい」
「さみしい」
が口から出てきても不思議ではないと思います。
僕の中でも10代後半はほぼ同級生と関わりがない時代があり、
「どうしたら友達ができるんだろう」
って本当に悩んでいました。
それは中・高とスムーズに行っていたら出会えたかもしれない友人・仲間への憧れともリンクしてきます。
いつも「〇年遅れ(1浪とか2浪)」との思いが頭の中にこびりつき、
「どうしたら友達ができるんだろう」
「笑って色んな話ができるんだろう」
ってずっと思っていましたから。
その後、色んなご縁がある中で、ただ数年前まではあまりわかっていませんでしたが、自分を否定することで成り立たせるぐらいに自己肯定感も低く、いつまで経っても寂しさ・悲しさが「ある」中での日々でした。
正直、一人寒さを感じて朝、起きた時、本当に物音がしない瞬間
「何?誰もいないの!」
と叫びたくなることが昔は何度もありました。
本当に一人、いるだけで全然違います。
話せる人が。
ただ、気を付けないといけないのが依存にもなりやすいということ。
これは「この人なら何を話をしてもいいかも」と自分自身の中でOKが出たり、喜びがあると時には手放したくないという執着が入る場合があります。
これが親子だと、それを外へオープンにできずに内で話を止めてしまうこともあるかもしれません。
あくまでも想像の世界ですが、昔の長屋で
「親戚ではないけれど、よく知っているおっちゃんにおんぶをしてもらった」
みたいな世界観の時代はまた違ったんだと思います。
親や家族だけでなく、色んな人の背中でだっこされた人ってもしかすると人との距離感が近くなるのかとも感じたことがありました(体感として)。
僕自身のことを例に挙げると
・一人ではじめた大学受験
・再起を図った大学3年次編入試験
・次の一手が見えないところからもう一度立ち上がろうと思った飲食業
・数百社決まらずに、働き方に悩んだところからの自己研鑽
すべて再スタートの事例。
孤独では立ち行かないことがあります。
ここは本当に身近であれば声をかけられるかどうかというところ。
ただ、その人がどこにいるのかというのがわからないままSOSも出せずにということもこれから多々あるかもしれません。
「孤独」対策。
それは何かの政策なのか。
ただ、今の思いを話がしたい。
すごくシンプルなことなんだと思います。
話をして、話を聞いてもらって。
その温度感ですね。
だからこそ、決して
「孤独なんて」
とか
「気持ちの持ちようだし」
とは決して言わないでほしいです。
それを感じる当人はこれほど辛いことはないと感じることだってあるわけですから。
ふと出てきました。
人のあたたかさがわかるようになってきたからこそ、この寒空の下を感じてしまいました。