【気づく、認識する。その先に何がある?】
こんばんは。
Re start コンシェルジュ 横山範葛(よこやまのりかず)です。
2月もあと残り1週間ほどになりました。
いかがお過ごしでしょうか。
2021年に入り、色々と動かしています。
うまく進んでいることもあれば、そうでないことも。
思った通りに行かないことがあって、
「だめだな」
ということではなくて、丁寧さが足りなかったり、どこかで判断を見誤っていたりが続きました。
ここ数年
「気付けてよかった」
「認識できて、やっと何が理由かわかった」
など、気づくことで変化を感じられるようになってきました。
ただ、昨年、今年と実感するのが気づく・認識するだけでは物事が中々動かないということ。
「気づいてどうする?」
「認識してどうする?」
例えば、目の前に水たまりがあって、
「それに気づいたちゃった」
とします。
放置をし続ければ、もしかするとさらなる雨でその水たまりは大きくなるかもしれません。
今の段階で、そこに何か手立てを考えれば(例えば、土をかぶせるとか。布か何かで水をしみ込ませるとか。そこに屋根をつけるとかetc)、大事になる前に手を打てるかもしれません。
物事の大小にかかわらず、何かしらのサインや兆し、警告は至るところで出ているかもしれません。
振り返ってみて、「そういえば・・・」。
それはあるかも。
たた、繊細な部分を大切にするとその信号もどこかで受け取れるのではないでしょうか。
今、目の前で何か起きていませんか?
気になることは?
くすぶっていることは?
それが「ある」のに「ない」ものにしていませんか?
今の日々で何かが不満であったり、何かにイラついたり、同じパターンで壁にぶち当たるとするならば、きっと同じことを引き寄せるプロセスを歩んでいるのかもしれません。
一人で解決することもできますし、サポートの力を借りることも。
ただ、その中でサポートもまた自分自身が生かしてこそ。
変えていきたいもの。
向き合っていきたいもの。
そこは素直に、次、どうありたいのかと生き方ともリンクしてきます。
「気づく」
「認識する」
の先ですね。
気づくだけでOKにするのかさらに一歩踏み込んで取り組んで行くのか、2021年はその「動かす」が大切だと1ヶ月半を過ごしてきて、僕なりに思うところです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。